義経焼の物語はここからはじまる。 義経が衣川館で自刃したとされているのが1189年であり、ジンギス・カン(チンギス・ハーン)の名が中国の歴史書に初めて登場するのが1200年頃である。 |
アメリカに留学し牧師となった小谷部全一郎は、北海道に移住してアイヌ問題の解決を目指す運動に取り組んでいたが、アイヌの人々が信仰するオキクルミが義経であるという話を聞き、義経北行伝説の真相を明かすために大陸に渡って満州・モンゴルを旅行した。彼はこの調査で義経がチンギス・ハーンであったことを確信し、大正13年(1924年)に著書『成吉思汗ハ源義経也』を出版した。彼の主張の根拠は、モンゴルで使われていた紋章が源氏の旗印である笹竜胆に似ている、「源義経」の音読みであるゲンギケイがジンギスになまったのだ、などといったものである。 |
なみかた羊肉店、初代行方貞一が行方羊肉店(なみかたようにくてん)を開店。当初ジンギスカン一本で営業を続けていたが、持ち前の研究熱心さを発揮し、昭和35年義経焼を開発。あつぎりで醤油ベースのジンギスカンに対して、薄切りで味噌ベースの義経焼が米沢市民の心をつかんだ。昭和38年には食堂を併設。ますます人気が高まり昭和63年頃には年間50tほどの義経焼を販売するようになった。そのころには、夕方、裏通りを通るとそこかしこから義経焼の臭いがしたものだ。 貞一についてはこちらを参照されたし これだけ売れているのに、米沢市民以外にはほとんど知名度ゼロというふしぎなローカルフーズ。全国に販路を拡大しようと1994年日本最初の肉屋のネットショップを開店・・・しかし義経焼は全く売れなかった。本当に努力が足りなくてすみませんm(_ _)m |
羊肉のヘルシーなことがテレビで話題になり、またご当地グルメブームもあって、ネットでの義経焼の販売量が増えてきた。 |
食事でたべる時は、義経丼で決まり。フライパンで野菜たっぷりに義経焼を焼いてつゆだくの肉を熱々ごはんに載せてたべる。この食べ方が全国的に広まれば、日本の米生産量は飛躍的に増加するであろう(あくまで希望ですが^^;) 飲む時は、中央が山型になったじんぎすかん鍋を使った義経焼。特製味噌がカリッと香ばしく焼けてビールやお酒にぴったり。いくらでも食べられます。 市民の間ではなぜかしばらくたべていないと禁断症状がでてくるという声しきり。 |
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山形県近県の方は直接お越し頂いても大丈夫。お待ち致しております。
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